棗
「そうだよ。だんだんまとめていくんだ」
まるで棗さんが背中に、ぴったりと寄り添って腕を伸ばし、指示してくれてるようだ。
千紘
(そう。こんな風に練習でも教えてもらってた)
肌に感じるほどに思い出していく。
棗
「あ、だめだよ。こねるようにしちゃいけないんだ。
ヘラでさっくりとやらないと。大丈夫。うまく混ざっていくからね」
千紘
「はい。棗さん」
優しく声をかけ、手取り足とり教えてくれたことを思い出していく。
すると、まるで今、すぐそばにに棗さんがいるようなそんな気さえしてきた。
千紘
(ずっと、こうやってそばにいてくれたんだ……今まで、ずっと)
棗
「うまくできたね。あと、少し」
そう囁く棗さんの頬が、すぐ近く。もう、ほとんど頬と頬がくっついてる。
やわらかさや熱や、息遣いもあるようで……。
千紘
(でも、今は……)
高鳴る鼓動と共に高まる寂しさ。
千紘
(今は、いない……)
迫ってくる寂寥感は、とどめようがない。
棗
「さあ、冷蔵庫で生地を休ませようね」
千紘
「はい。じゃあ、一緒に」
まるでそこに棗さんがいるかのように振り向いた。
でも、今まで見えて感じていた姿は、そこにはない。
今、自分がひとりで作業をしているのだと、思い知らされる。
千紘
「いない……」
わかっていたことなのに、その現実の重さに、ふるっと背中が震えた。
千紘
「私……もう、こんなにも……」
突きつけられた現実は、それだけじゃない。
本と人とのへだたりの深さ。
千紘
「……恋して、いい相手じゃないのに……」