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 民間武官の仕事は警邏に始まり、警邏に終わる。
 晏都が荒んでいる今、警邏は特に重要な仕事だった。

 武官がいなければもっと多くの事件が起こっているだろう。
 だからこそ、呂雄は警邏の仕事に手を抜かないし、この仕事に誇りを持っていると言ってもいい。

 武官として考試に受かった者の中にはもっと大きく派手な仕事をしたいとぼやく者もいる。
 だが、一日何も起こらないことこそが呂雄にとっては幸せだった。
 今日もその一日が終わろうとしている。

 基本的に夜勤当番の呂雄にとっては晏都の空が白く染まり始める早朝が一日の終わりだった。
 武官の詰め所に今日一日の報告をしようと歩を向けたときだった。

 「……ん?」

 視線の先に奇妙な男がいるのが見えた。
 色素の薄い長い髪。身長は呂雄より高いだろうか。

 色素の薄い髪は貴族に多い。しかもこの界隈は貴族から民間に下ったものが多く暮らしている。
 だが男は貴族的な立ち振る舞いや気品のようなものに欠けている。
 どちらかと言えば武官である呂雄と同じく、隙のない動きの ほうが目に付く。

 疑問に思えたのは、奇妙としか言えない行動だった。
 一歩進んでは家の中を覗きこみ、中を検分するように見渡してからまた次の家で同じことを繰り返す。

 「……なんだぁ? 新手の強盗か?」

 この界隈は比較的裕福な人間が暮らしているせいもあり強盗の被害が多い。
 ゆえに強盗の下見ということも考えられたが、そのわりには男の行動は堂々としていた。
 
 何より塀の中を覗きこんでいる時間が短い。どちらかというと何かを探しているようにも見える。
 勿論その「探している」ものが金目のものでないという保証はないのだが……。
 
 呂雄は少し考えてから、男に歩み寄った。

 「警邏の武官だ。少しいいか」

 男は答えない。それどころか呂雄の声を無視して家から家へと移動している。
 気付いていないのか、意識的に無視しているのか。前者でも後者でも普通ではないことは確かだが。

 「あ〜……、少しいいか、話が聞きたい」

 呂雄が男の肩を叩くと、ようやく男は振り返った。無表情な顔で呂雄を見る。

 「……話が聞きたいというのは俺のことか?」

 「そうだ。お前の行動に少し疑問があってな。何をしていたか聞きたい」

 呂雄は毅然とした口調で告げるが男の無表情は崩れない。

 「先刻声をかけたのも俺のことだったのか?」

 「……気付いてはいたのか。お前のことだよ。何をしてる?」

 「詳しくは話せない。だが、警邏の武官に迷惑をかけることも捕まるようなこともしていない。それは誓おう」

 無表情だが男は真顔だ。
 呂雄は腕組みをして男を見る。

 「まあ、悪さをしそうな顔には見えないけどな……話せないっていうのは何か一身上の都合か?」

 「お前の言葉を借りれば一身上の都合、ということになるか。これで回答になっているか?」

 「ん〜……あのさ」

 呂雄は言いにくそうに頬をかいた。

 「俺はお前が悪人にも嘘をついているようにも見えない。強盗が家捜ししているようにも見えないしな」

 「……それならどうして引きとめる?」

 「とりあえずの体面ってものがあるだろ? お前が何もしていなくとも、
  ここらあたりは色々まずい要素も絡む。俺以外の武官が捕らえないとも限らない」

 「……だから、理由だけは話していけと?」

 「話が早いな。そういうことだ」

 呂雄は人懐っこい笑みを浮かべた。
 男は少し考えるように黙ってから、口を開いた。

 「このあたりがまずいとは?」

 「……なるほど、晏都に来てから日は浅いか」

 「ああ、どうしてわかる?」

 「このあたりは貴族が民間に下った際に建てられた家が多い。つまり金持ちが多く、
  今でも隙あらば政に口を挟み、貴族に戻ろうとしている奴等ばかり。晏都の民にはとっては常識だ」

 「……歯に絹を着せぬ意見だな。聞いていて清々しいが」

 男は今までの無表情からかすかに笑みを浮かべた。

 「つまりそんな家の多い場所で俺のようなことをしていれば、武官の責任を追及する切欠になると」

 「そういうこと。俺としてもそうそう簡単に尻尾は掴まれたくない」

 呂雄が肩をすくめてみせると、男もふっと息を吐くように笑った。

 「そういうことであれば仕方があるまい。実は家を探している」

 「知り合いの家か?」

 「そんなところだな。だが、相手に迷惑をかけるわけにいかない。仕方なく一軒一軒回っているところだ」

 呂雄は軽い頭痛を覚えた。
 晏都ではこういう例は少なくない。

 晏都外の人間が晏都での成功――
 それは考試合格であったり商売を始めたりと様々なのだが――を手にするために、
 晏都の血縁を勝手に尋ねてくる。

 実家で心配して探されているとは考えず、また頼りの血縁も縁が薄かったりで親身になることも少ない。
 早い話が立身出世を建前にした家出のようなものである。

 生まれたときから晏都に住んでいる呂雄にはその切迫した気持ちはわからない。
 だからこそ早く帰れと言える立場ではない自覚もある。
 そうするとその探している家をできるだけ早く探す手伝いをするべきだろう。

 「知り合いの家の住所はわかるのか?」

 「わかっているが言えば先方に迷惑がかかる。話すわけにはいかない」

 この口上も家出特有のものだ。呂雄は男を手招きするとしゃがみこんだ。
 適当な石を持ち、地面に簡単な晏都の地図を描いてみせる。

 「いいか、晏都は条坊都市だ。碁盤の目のように道が走っている関係で、
  住所から家の場所を割り出すことは難しい話じゃない」

 「……ふむ」

 「俺たちが今いる此処が南四条左六坊だ。南というのは宮廷のある場所を一とした縦の位置。
  左坊というのは跳兎門外を中心として左と右に分かれたときの横の位置だ」

 「……つまり住所さえわかればその数値に添って向かえばよい、ということか」

 「そういうこと。左街だけで五十四坊あるんだ。
  お前の今のやり方じゃ、家を見つけるまでに数年はかかるぞ」

 男は呂雄が地面に書いた簡単な地図を見、何度か頷いた。

 「だいたいの場所はわかった。どうやら俺は見当違いの場所を探していたらしい」

 「それがわかっただけでも役に立てたかな。……けどな、今日はもうこんな時間だし、
  宿に戻って一度寝ろよ? 昼間にもこんなことしてたら、犯罪をしてなくとも捕まるぞ。怪しすぎる」

 「晏都がそういう都であるならば従おう。昼であれば逆に人目につかないと思ったのだが」

 「昼は昼で警邏の武官がいるんだよ! 宿はとってあるんだろう?」

 呂雄は溜息をつきながら立ち上がり、地面に書いた地図を足で消す。男は不思議そうに呂雄を見た。

 「何故宿をとる必要がある?」

 「ん? お前、どこか別に泊まる宛てがあるのか?
  それならそいつを頼れよ、晏都のことだって俺が教えなくとも――」

 「いや、宿などとらなくとも道端で寝ればいいことだろう?」

 呂雄は目の前の男が未だ警邏に見つかっていないことを瑞獣にひっそりと感謝した。

 「お前、それこそ詰め所に連れていかれるぞ! 金は幾ら持ってる?」

 「金か? まあ、数日しのげる程度ならば」

 「そうすると……紹介したくはないが、あそこの宿しかないな。いいか、道端で寝るのは晏都では禁止だ。
  治安と風紀が乱れる。晏都で一番安い宿を紹介するから、後はなんとかしろ」

 頭を押さえながら呂雄は歩き出す。

 「……道端で寝ても俺は何の問題もないのだが」

 「大ありなんだよ! お前のように道端で寝るやつが増えてみろ、
  風紀が乱れればあっという間に犯罪に広がるんだ。そもそも道端で寝ててみろ、身包み剥がされるぞ」

 「自衛の心得はある。何の問題もない」

 「わかった、わかった。じゃあ晏都の風紀と治安のために俺に協力してくれ。ほら行くぞ」

 立ち尽くしたままの男に合図をすると呂雄は跳兎門外へと足を向けた。男もついてくる。
 こうして並ぶと体格もいいことがわかる。男の言う「自衛の心得」はあながち嘘でもなさそうだ。

 「……お前はお人好しだな」

 男がぽつりと言った。呂雄は苦笑する。

 「武官ってのはお人好しの仕事なんだよ。飯は食ってるのか、お前」

 「昨日、久しぶりに」

 「わかった、飯も奢ってやるから、ちょっと待ってろ。詰め所に先に報告に行ってくる。
  お前に付き合ってると朝までかかりそうだ……!」

 「いや、もう朝だが」

 「そういうときだけ常識的に突っ込むなよな、お前……!」

 呂雄はやれやれと首を振り、男をつれてまだ人通りの少ない跳兎門外へと踏み込む。
 早朝の跳兎門外は店をこれから出す商売人の独特の活気がある。

 当惑顔の男についてこいと呂雄は手で合図をする。
 結局、呂雄は自分の仕事を終わらせたその足で、男の分の朝食を買い与え、
 さらには昼食用の金まで握らせた。
 治安は悪いが晏都で一番安い宿の手配までした。

 「いいか、とりあえずさっきみたいな不審な方法での家探しはやめろ。
  あと宿をとったから道端で寝るのもやめろ。絶対だ。それでお前が捕まっても俺は面倒を見きれないぞ?」

 「……お前は本当にお人好しだな。長生きできないぞ」

 「ほっとけ! 寝台で老衰が俺の希望だ。これは譲れない」

 「無理だと思うが。運命と思って諦めろ」

 「恩人に向かって言う言葉がそれか! さっさと知り合いの家を探せよ」

 呂雄は肩を竦めて宿屋を出て行こうとする。その背後に男の声がかかった。

 「武官。感謝している。……もし本当に老衰を希望するなら、これ以上俺に関わらないほうがいい」

 「忠告ありがとうよ。だが俺は武官だ。困っていりゃまた助けるさ」

 呂雄はひらりと手を振ると賑やかになってきた跳兎門外のほうへと歩いていった。
 その背を男――慧はじっと見つめる。

 「どうやら此処はお人好しの多い都のようだな」

 それがここ数日の慧の晏都に対する感想だった―――――。

―終―
    



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