基本的に太星は人の見た目で売りつけるものを決める。
お人好しそうで、騙されても笑って許してくれるような人間が太星の狙う相手。
よく絹糸を買いに来る常連もそのうちの一人なわけだが……。
「よっ、そこを行くお兄さん! いいもンがあるんだ、覗いていかねェか?」
本日の狙った獲物は周囲を見渡してから自分のことだと察したらしい、興味深そうに太星の露店へと近づいてくる。
「珍しい露店だな。異国の品を扱ってるのか」
相手は素直に露店の品物を見渡す。身奇麗で、着ているものも庶民にしてみれば上質なもの、
しかもあっさりと露店に近づくのは金を持っている証拠。男は太星にとってかなりの上客だった。
「まぁね。……ところで最近、お兄さん、ツキがないとか思ってないか?」
だいたいの人間はこう聞かれると不思議なことに「いや、俺はついているんだ」とは答えないものだ。
男も顎をなでると渋い顔を作った。
「……まあ、ツイてるとは言いがたいな。どうしてそんなことがわかる?」
「あちこちで人を観察してるとそういうのも目が肥えるンだよ。
お兄さんは今、不調の渦の中にいる。不調はさらなる不調を呼び、連鎖し、どんどん渦は広がっていく」
「ちょっと待てよ、これ以上不運になるっていうのか? でたらめ言ってると露店の元締めに報告に行くぞ?」
「ほお、お兄さんは店のこと詳しいな。同業者か?」
「実家が店舗通りで青果店をやってる。ついでに言えば職業は武官だ」
なるほど、と太星は納得する。
店舗通りで店を構えているのは実家が裕福な証。民間でも武官であれば高給取りだ。しかも武官はお人好しが多い。
ああは言っているがよっぽどのことがない限り露店の元締めに報告されることもないだろう。
太星は余裕の笑みで言葉を続ける。
「じゃあ、余計にツイてないと困るんじゃねェの? 店の売上もさがるし、武官の仕事で怪我でもしたら大変だろう?」
「まあ……そうなんだが……」
「そこでだ、此処に取り出したる魔法の花瓶。これさえあればお兄さんの人生は好転する」
「はぁ?」
「そんなに不審そうな顔をするなよ。
西方ではまじないが得意なやつが大勢いてな、
こんな風に家具にちょいとしかけをするのはよくあることだ」
「……俺はそんな話、聞いたことがないぞ」
「まあ、事情通しか知らない話だからな。話を聞くだけでも聞いてみる気はねェか?」
男は少し迷ったようだった。口をへの字に曲げて暫く考えてから、
「まあ、聞くだけならただだしな」
と太星の露店に近づき、花瓶を眺める。太星にしてみればなかなかの好感触だ。
「兄さん、懐が広いね。この花瓶に兄さんの好きな花を飾るんだ。花は枯らしちゃならねェ。
枯れそうになったら即、次の花と交換だ。そうすりゃ、兄さんの運気はぐんぐん上昇していく」
「……本当か? 嘘を言ったら承知しないぞ?」
「オレはこう見えてもお客様第一主義で仕事をしてるんでね。どうだい、
ただの花瓶としてもなかなかの細工もんだろ?」
「俺はこういうものの価値はよくわからないんだが……とりあえず花瓶だな、ということぐらいしか」
「兄さんは実用主義かい? じゃあ尚更お勧めだ。細工物が一品くらいありゃ生活も潤うってモンだ。
生活が潤えば人生も豊かになる」
「う〜ん……」
男は腕を組んで思案顔だ。後一押しで購入間違いなしだろうが、心配にもなる。
太星がこういうものを売りつけるときは、あとで笑い飛ばしてもらうことが条件だ。
お人好しの金持ちであれば大抵は笑って、騙された分だけ負けたという感じで購入していく。
つまり「落ち」が必要なのだ。
ところが目の前の男は実直というか素直というか、花瓶の話を完全に真に受けている表情だ。
これでは笑っておしまい、というわけにはいかない。さすがに太星の良心も痛む。
渋々と本当のことを話すべく太星が口を開こうとしたときだった。
「……この花瓶は三つないのか?」
「は!?」
「いや……そんなに便利なものなら、大事なやつにも贈りたいと思ってさ。幼馴染が二人いるんだ。
それで三つ欲しいんだが」
「あ〜……それなんだがな、兄さん。実はだな……」
「……呂雄、そんなところで何をしてるんだい?」
不意に入ってきた三人目の男性の柔らかな声に花瓶を見ていた男は顔を上げた。嬉しそうに笑う。
「樂芳か。ちょうどいい、お前もこれ見てみろよ。お前のほうがこういう細工ものは得意だからな」
「これって花瓶かい? 呂雄が花瓶を買うのはちょっと意外だよね」
「悪かったな。……俺だって自分が買うとは思ってなかったよ」
「冗談だよ、君は本当に相変わらずだね」
どうやら現れた第三者は男とかなり仲がいいらしい。しかも男より身なりは質素で、常識的な雰囲気が漂う。
怒られるかもしれないが、最悪の事態は避けられそうだ。
「……店主さん、僕も花瓶を見せてもらても構わないかな?」
「あ、ああ、かまわねェよ。ほら」
太星は内心安堵しながら花瓶を渡す。
どうやらこっちの男性はこういうものを扱うのに慣れているようだ。丁寧に観察をする。
「細工物としては上質だけど……君が買うほどのものじゃないと思うんだけどな」
「それがさ、すごいんだよ。これに花を飾れば運気が上がる魔法の花瓶らしいんだ。
それで、お前とあいつと俺の分を買おうかと――」
「……呂雄」
樂芳といわれた男性がやんわりと興奮する男性を手で制する。
「君の人を信じるところは美点だけど、武官としては問題じゃないのかい?」
「どういうことだよ、樂芳」
「商人さん、悪いのだけど、この花瓶はお返ししてもいいかな?
騙して買わせるつもりだったなら申し訳がないのだけど」
「……いや、助かった。本気で買われたらどうしようかとオレも冷や冷やしていたところだ」
花瓶を返されれば、思わず漏れる安堵の溜息。
太星が花瓶を奥へと仕舞おうとすると、騙される寸前だった男が不愉快そうな声を上げた。
「……でたらめで買わせようとしたのかよ」
「ある意味は本当だ。花を飾るってのは心のゆとりがなきゃできねェことだしな。
そのゆとりがないやつは幸運が目の前にあっても掴むことはできんよ」
「それは確かだね。これは呂雄の負けだ。君はもう少し疑うってことを覚えたほうがいいよ」
「……人を疑うなんて、相手を否定してるのも同じだろ。俺はそういうのは嫌いだ」
不服そうに男は腕組みをする。太星は苦笑せざるを得なかった。
「まっすぐだね、お兄さん。武官の鑑みたいだぜ」
「うん、呂雄はまっすぐすぎるよ。もう少し色々と考えて――」
「二人ともわかったよ、俺が悪かった。……行こうぜ、樂芳。お前、仕事の途中なんじゃないのか?」
男は不愉快を隠そうともせずに露店から離れて歩き出す。後から来た男が太星に小声で言った。
「悪いね、彼は昔から騙されるのが嫌いなんだ」
「なるほどね。いや、お兄さんのおかげだ。感謝する」
「今度はちゃんとしたものを勧めれば、機嫌も直ると思うんだ。店先で騒いだことも謝るよ」
「――樂芳、行くぞ。お前もあいつも本当にトロトロしすぎなんだよ」
男はつまらなそうな顔を向け、もう人混みに紛れている。
おそらく目の前の人間がのんびりしているのではなく、相手がせっかちなのだろう。
「うん、待って、呂雄。それじゃあ、商人さん」
「あいよ、兄さんもよかったら今度寄ってくれ。三割引でご奉仕するよ」
「僕は……あまりお金を持っていないから。見るだけでもいいなら……」
「客が見ててくれるっつーのが露店は大事なんでな。ご贔屓に」
太星が仰々しい礼をしてみせると、相手は少し照れたように笑った。そのまま人混みに紛れる男の背を追って行く。
それは太星にとっても、二人の客にとってもよくあることで、日常の記憶の中に消えてしまうけれども。
「――相手の見極めっつーのもなかなか難しいな」
花瓶を戻しながら太星は溜息をついたのだった。
―終―
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