それはいつものように劉瑯が店舗通りの品物の流通を調べているときだった。
「……まったく、あの方は」
思わず溜息も出てしまう。
劉瑯の視線の先には泰斗と啓明、黎明が歩いていた。
行く先はおそらく羽兎の娘の家だろう、最近はいつもそうだ。
「味噌は買ったし、あとはあいつに粥を作ってもらうよう頼むだけだな」
「うむ!ワシは彼女の味噌粥が食べられると思うと、今から涎がでそうじゃ!」
「……自粛せよ、啓明。そもそも泰斗も彼女の都合というものをじゃな――」
「なんだ、黎明。お前は食べたくはないのか。それならば私と啓明の二人分を頼むが」
「い、いや、食べたくないわけではないのじゃ、ただ、彼女にも都合というものが」
「食いたいのじゃろう、黎明? ワシのように素直に生きるがよいぞ!」
「うむ、食べたいものは食べたいとはっきり言うのがよいと私も思う。だが、啓明には負けぬ」
「泰斗は大人げないのう。ワシのようにもっとおおらかに生きるとよいのじゃ」
「お前たちはおおらかではなく大雑把というか迷惑というか……ともかくじゃな」
喧々囂々としている三人の背後から劉瑯は歩み寄る。
「ともかく、泰斗はもう少し貴族らしくしていただきたいものですね。
啓明と黎明は私とは関係ありませんのでとやかく申し上げませんが」
「なっ……!? 劉瑯、どこで私たちを張っていた? 完全にまいてきたと思ったのだが」
「今日は店舗通りの視察の日でして。おそらくはそれが貴方の敗因かと」
「なに、啓明、黎明、劉瑯の行方はお前たちに偵察を頼んだではないか。どういうことだ」
「宮廷にはおらんかったからの、見つかるとは思わなかったのじゃ」
「劉瑯が宮廷におらんときは、家のことが多いからのう。視察とは思ってもみんかった」
口々に弁解をする啓明と黎明。泰斗はやれやれと溜息をつく。
「出かける前にこれでは、今日は厄日ではないか。私は悲しい」
「目の前で自分を災厄と言われるのはなかなかに心外ですよ、泰斗。仕事はお済みになられたのですか」
劉瑯はいつもの柔和な笑みを浮かべてみせた。柔らかな笑顔だが目は笑っていない。
泰斗も啓明も黎明も思わず一歩後ずさった。
「仕事は終わらせてきたぞ。あのくらいの仕事であれば造作も無い」
「でしたら、明日のお仕事をなさってくださいませ。
貴方は非常に優れた文官としての才能もお持ちなのに、そうして隠されるから悪評も立つのですよ」
「能があることを見せびらかすのは好きではない。劉瑯がやればよいであろう。洪家の鼻柱を折れる」
「……劉家が何のために存在しているのか、わかっていらっしゃるのですか」
劉瑯は溜息をつくと泰斗の襟首を掴んだ。
「わかっておる!お前は数年前まで私の師でもあったしな、耳にたこができるほど聞いている」
「でしたらお戻りくださいませ。こんなところを見られたら、また何を言われるかわかりませんよ」
「劉瑯に見つかると泰斗も形無しじゃのう」
「うむ、やはり幼き頃より知っている者には苦手意識もあるじゃろうて」
うんうん、と頷きあう啓明と黎明。それを劉瑯は一瞥した。
「貴方がた二人も、泰斗と揃って遊ぶのが使命ではないでしょう。
まったく、私にとっては貴方がたの存在は損にはなれど得にはなりませんよ」
「なんと、ワシらが損じゃとな!?」
「……うむ、悔しいが劉瑯の言うことは一理あるの。とはいえ損と言われては黙っておれぬのじゃ」
啓明と黎明はそういうと泰斗の手をぐいと引っ張った。
劉瑯に襟首でつかまれていた泰斗はたたらを踏みながらも、束縛から解放される。
「市井の見聞も必要じゃぞ、劉瑯。国というのは民で成り立っておる」
「民を見ずして国を見るなぞ論外じゃ。羽兎様ならそう言うであろうて」
真面目な顔で語る啓明と黎明はどこかいつもより大人びた顔つきだ。
その言葉に泰斗も頷いた。
「うむ、人がおらねば国政を語っても無駄なこと。国は貴族だけで成り立っているわけではない。
今の宮廷はそのあたりをわかっておる者がおらん」
「……貴方の考えは理想ですよ、泰斗。そのような考えが宮廷で受け入れられるとお思いですか」
「無理であろうな。だからと言って私は黙っている気はないぞ」
堂々たる泰斗の言葉に劉瑯は何度目かわからない溜息をついた。
何度諌めても泰斗のこの理想は変わることも揺らぐこともない。
そこが貴族らしくない、と評価され宮廷でも陰口を叩かれる理由でもあるのだが……。
「というわけだ。私は市井の様子を探るために少し出かけてくる」
「……ですから、お待ちなさいと申し上げております。どうせ羽兎の娘の場所でしょう」
「何故わかるのだ、劉瑯。あの娘はお前にはやらぬぞ」
「宮廷御用達職人としての腕は買っておりますが、庶民の娘です。
そのような興味はありませんよ。からかうと楽しいことは認めますが」
「うむ、あやつはからかうと本当に楽しい。ではな、劉瑯」
「貴方は人の話を聞いていらっしゃるのですか」
思わず劉瑯はまた泰斗の襟首をつかんでしまう。泰斗はばたばたと暴れた。
「私はもう、お前に捕まって引き戻される年ではないぞ!」
「私ももう、このようなことはしないと思っておりましたが、あまりにも貴方が納得されないので、少々力ずくでも」
「さすがにこの年でこれは恥ずかしい。劉瑯、離せ」
「恥ずかしいのはこちらも同じです。ご納得いただければ離します」
平行線が続く。
「とりあえず、これでは私も劉瑯も誰に陰口を叩かれるかわからん。離してはくれぬか」
「申し上げたとおり、ご納得いただければ離します」
ここで離したら泰斗は振り切って跳兎門外を走るだろう。
仕事が終わっているならばなんとか体面も保てようが、走るなどおよそ貴族らしくない行為だ。
見られればどんな謗りを受けるかわからない。だからこそ劉瑯は慎重に言葉を選ぶ。
「納得するとはこれから出かけぬことか。考え方のことか。どちらもか」
「どちらもです。わかっておりますか、貴方は次代の――」
「ならばこちらも力ずくだな。啓明、黎明!」
言いかけた劉瑯の言葉を待たずに、泰斗は二人に声をかけた。
「心得たのじゃ」
「うむ、任せるがよいぞ」
再度、啓明と黎明が泰斗をぐい、と引っ張る。
そのあまりの力に思わず劉瑯は泰斗を捕まえていた手を離してしまった。
体勢を崩し、今度はこちらがたたらを踏む番だ。
その隙に泰斗と啓明と黎明は跳兎門外を走り出す。
「悪いな、劉瑯。私はどちらも譲れん。おそらくこれに関しては永遠にお前とは平行線だ。
……私に付くのであれば覚悟しておれ」
その言葉を残して泰斗たちの背中は人混みに消えた。
劉瑯は深い溜息をつく。
「貴方に付いているのは家の関係が大きいのですがね……」
貴族間では家同士の関係が何よりも重視される。
「自分が勉学を教えていた相手を突き放せるほど、私も非情ではありませんし、
……貴方を利用しないわけにもいかないのですよ」
けれども、劉瑯と泰斗の関係は家の関係を超えた個人的なものだ。
劉瑯にとって、泰斗は出世への切り札でもある。泰斗もそれは熟知しているだろう。
利用されることを知りながらも、不思議と泰斗は劉瑯を邪険にはしない。
それが泰斗の甘さだとは劉瑯も知っているが。
劉瑯は溜息をつくと店舗通りの視察に戻る。ここで泰斗に会わなかったと言い張れば、ある程度自分の体面も保てるだろう。
跳兎門外はいつもの活気に満ちている。劉瑯はおそらく変わらぬその大路を目を眇めて見たのだった。
―終―
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